いっちゃんの頑張り日記 〜最終章〜
- 2012.12.31 Monday
- 22:58
2014 5/1
いっちゃんは2014年4月12日に自由な身体を得ました。
いろんなタイミングを見計らったかのような旅立ちでした。
全てから解放されもう痛くも苦しくもありません。
今はゆっくり休むことが出来ていると思います。
たくさんの祈りを
長い間 いっちゃんと私たち家族に向けて頂戴しましたこと
心より御礼申し上げます。
SAKUのときはすぐに記事にしたのですが、書くのが遅れてごめんなさい。
僭越ながらこれからの供花などはご辞退申し上げます。
どうか花一輪をご自宅に
そしてそのお気遣いはどうかまだ幸せを掴めずに入る動物達へとお願いいたします。
どうかおくみ取りいただけますようお願い申し上げます。
私は、寿命という言葉があまり好きではありません。
「それがこの子の寿命だから」と聞くと
何とも諦めるためのような言葉に感じて悲しくなるからです。
だけど もしかしたら・・運命、天命・・天寿というものは、多分誰にでもあって
それはあらかじめ定められたものなのかもしれないなぁと思うことはあります。
そして、それはちょっとしたタイミングや何かの拍子に
少しだけ伸びたり縮んだりすることがあるように思うんです。
それが野口せんせがよくおっしゃる生命力なのか、その子の運なのか
ケアなのか、偶然なのか、必然なのかわからないのだけど
本当に今そこで命を終えようとしているのに、ふわっと押し戻されることがあります。
いっちゃんの1年10ヶ月もそんなふうに何度も 何度も押し戻されました。
だからやっぱり いっちゃんは「ミラクルいっちゃん」なのだと今も私は思うんです。
いっちゃんのその驚異的な猫生は最期の最期までミラクルでした。
あの日は、 朝にいっちゃんが旅立つ前のお顔になっていたことと
お昼過ぎ頃にはなんとなく、いっちゃんが使っているブランケットから
SAKUの匂いがしたり不思議なことが重なり
うっかり眠ってしまわないように、といっちゃんが
一生懸命起きていようとする様子見て
なんとなく・・本当になんとなく「今日だな」と思っていました。
「眠ったらもう2度と起きることはないかもしれない」と感じているかのように
頭が横になりそうになったら慌てて顔を起こし、何度もそんなしぐさを繰り返すいっちゃんを
お客様もお店からバックヤードをのぞいて見守って下さっていました。
時折酸素室の中で、何もないところを不思議そうに見上げたり、
目で追ったり、いつもとちがういっちゃんの様子が私はとても気になっていました。
お昼から3時過ぎまで横になった状態で呼吸も安定していたので
酸素室に入れたまま仕事にもどって30分ほどたった夕方4時前ごろ。
スタッフのAIちゃんが「いっちゃんが酸素室の中で立ってるから見に行ってください」と教えてくれました。
バックヤードに向かうと、酸素室の中でふらふらしながら
4つ足で立っているいっちゃんの姿がそこにありました。
酸素室を開けて 「いっちゃんどした?」と声を掛けると
いっちゃんは私のひざの上にふわっと登ってきました。
今まで16年間一度も抱っこをせがんだことがない、
抱っこが嫌いないっちゃんが始めて私のひざの上に自ら乗ってきたのでした。
驚くほど 軽い。
あぁ。いっちゃん。その時なんだね。
「SAKUや優音と同じように、
おだやかにいつもの日常の中で眠るように逝かせたい。」
これまでずっと私が願っていた想いが叶えられるときなんだ。と思いました。
「いっちゃん。ありがとね。もうがんばらなくていいからね。
ありがとうね。かわいいね。」とそう声を掛けながら、
すっぽりおさまるほど小さくなったいっちゃんを抱いて
その時を迎えさせようとそっと撫で続けました。
だけど。
いっちゃんは、諦めていない表情で最期まで
「生きたい」と私に訴えてきました。
どこにそんな余力が残っているのかと思うほど
力強く ぐっと爪を立て
私の腕によじ登り 口呼吸をしながら
私の目をじっと見て「負けるもんか」という顔をして
力いっぱい大きな声で3回鳴きました。
あんなに甘えるのが下手で気が強くて、
ひとりでいるのが大好きで
気高かったのに 今は私に必死にしがみつき、
私に助けを求め、抱っこをせがみ、
不安そうに私を見ている。
そんないっちゃんがどうしようもなく
どうしようもなく愛おしくなりました
どうか穏やかな最期を迎えられるように、
毎日の穏やかな日常の中で眠りにつけるようにと、これまでやってきました。
いつも枕元にいっちゃんの姿を確認できるように
いつの瞬間でも安心して眠らせて上げられるようにと願って・・・
長い時間をかけてそう覚悟をしていたはずの私は
その瞬間全てが吹き飛び「どんな姿でもいいからこの子を生かしたい」と思いました。
「いっちゃんは生きたいんだ。まだ私といっしょにいたいと思ってくれてるんだ」
そう思ったのでした。
あの時あの瞬間の私といっちゃんは、一心同体のようになっていました。
腕にしっかり絡んだいっちゃんの手と足を外して、
ブランケットの上にいっちゃんの身体を横にして
呼吸がしやすい体勢に整え、上あごを持ち口を開いて舌を引き出して
再び酸素室からチューブを引き出し酸素マスクに付け直し、
いっちゃんの口に当て心臓マッサージをしました。
このときにはもう、いっちゃんの身体はぐにゃぐにゃになっていて
目の反射も意識もありませんでした。
「やっぱりもう駄目か」私がそう思う度に
止まったはずのいっちゃんの呼吸は何度も何度も戻りました。
それは・・・ほんとうに長い長い時間。
いつ亡くなったのかはっきりわからないほどに
いっちゃんの呼吸が戻るたびに「いちは、まだ生きるんだじょ。」と
いっちゃんがそう言っているように見えました。
「もっと生かすことはできなかったのか。」
亡くなってからの数日間はわずかにそんな思いが私の心にありましたが
「あれ以上は可哀想だったよ。あそこまで生き切ったことはすごいことだよ。」と
せんせに言ってもらえて、私の心は救われました。
いっちゃんの痙攣発作は、おそらく鼻の腫瘍が脳に達したか
圧迫したことで引き起こされたもののようでした。
「あの日の朝まで普通に生活していたしごはんを食べていたんだ、
あの発作さえなければ、いっちゃんはまだ生きていたかもしれない」とずいぶん思ったけれど、
たった一発の発作で即死することも多いということ。
何度も何度も痙攣を繰り返し起こして苦しむケースも多いこと、
そうなれば安楽死を考えなければいけなかったこと。
後々そんな話を聞いて、いっちゃんとの最後の1週間は、
とても幸運で幸福な時間だったことに気づかされました。
いっちゃんの身体はほとんど動かなくなっていたけれど、
意識はしっかりしていたし、意志の疎通も最期の瞬間まで出来ていたから、
互いの気持ちを通わすことが出来ました。
最後の最期までいっちゃんは、本当によくがんばりました。
こんなへなちょこな飼い主のために
ずいぶんと無理をしてくれていたのかもしれません。
だから
やっぱり
いっちゃんには
「さようなら」じゃなく
「ありがとう」なのだと そう思うのです。
いちごいちえのいちごちゃん。
いっちゃん。あなたのすべてに
ありがとう。
朝の雲
一期一会の
空の顔
ちゃんと見えるよ。
ストロベリーな日々をありがとね。
だいじょぶ。
いっちゃん亡き後もこつこつと積み上げていくから
明日の希望を見出して
歩いていくよ
またこの場所から
想いを持ち続けることで、光が線になるように
寄り添ってくれる光があることを感じていれば、
私はまた支えられているという安らぎに包まれ前を向けます
今こんなに穏やかな気持ちを築けているのは、
お空の子たちが私にいろんな想いを教えてくれたからだと
想うと更に安らかな気持ちになれます。
光は 消えない。
消さない。
いっちゃんを含めたお空の子たちが
私の道を照らしてくれています。
私が好きな長田弘さんの詩集の中にこんな言葉があります。
「近しい人が遺(のこ)してくれる記憶は、生の球根です」
「喪によって人が発見するのは絆」
亡くなった人が後に残してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、
その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているんだということ。
死ぬということは、どこか遠くへ行くことではない。
いつもここにいて、どこへも行かなくなるということ。
死者と共にある時間を生きてる。
だいじなことは目に見えない
当たり前だと想っていることは
たくさんの奇跡の力のおかげ。
これから来年も再来年も
何十年先も ずっと変わらず
毎日が特別な1日だと思って過ごそう。
かけがえのない今日を一生懸命に生きること。
たぶん、それが出来たら
私といっちゃんはこれからも永遠に仲良しだね。
バイバイのかわりに
ありったけの
感謝の気持ちを
だいすきないっちゃんに。
今頑張っている子達が、どうか穏やかに過ごせますように
見守っていてね。
「心のそばに。」2014.5/2
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